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テレサテンの魅力が解るような大人になったなと思う。 [音楽メモ]



私大人になったようです。


最近昭和歌謡が若者の間で流行っているとか、そういう流れで、このテレサテンの「別れの予感」をつい最近耳にしたんだと思う。


どこへも行かないで


という歌詞がふと思い出されて、その曲が聞きたい、、と、確かテレサテンか誰か・・と検索したら、聞きたかったメロディが出てきた。


これを改めて聴いてみたら、涙腺が緩んだ。


生前のテレサテンは、幼児の私にとっては、興味がないおばさんだった。


歌にも興味がなかった。


でも、こうして、亡くなった時のテレサテンに近い年になって、改めて彼女の歌を聴いてみたら、彼女がいかに可愛らしい女性であったのかということがわかる。


美しい声、歌い方、表情。


全てに清潔感がある。


顔が特に美人なわけではないけど、育ちの良い可憐さがある。


彼女は台湾人なわけだけど、彼女の歌う姿を見ていたら、東南アジア女性の魅力みたいなものの集約も感じた。


タイ人、フィリピン人、ベトナム人・・・私の接してきた東南アジア人女性というのは、普通の良いとこのお嬢さんの場合、まだまだ純潔な感じがある。


そして、結構情熱的である。


ちょっとたどたどしい日本語もまた可愛らしい。


東南アジア女性の魅力を理解した上で、改めてテレサテンに出会ったからこそ、彼女の魅力がわかったというのもあるだろう。


そういう外国人女性の魅力をテレサテンも体現している。



テレサテンのことを、おばさんじゃなくて、可愛い女性と感じるようになるなんて、私も大人になったなと思った。


あとは私が愛を知ったからだろうか。



なんというか。


愛って、テレサテンと会ったこともないのだから、彼女の本当の人柄なんて知る由もないのだけど、歌声を聴くだけで、心が動いてしまうようなものに近いと思う。


子犬や子猫を見たら、無条件に心を掴まれてしまうのにも似てる。


愛は無条件。


尊いものとかでもないと思う。


どちらかといえば本能だし、むしろ我欲に近いと思う。


だから私は愛というものにずっと不信感を抱いてきた。


だけど、その正しいわけでも尊いものでもないものに身を任せるのもいいんじゃないかと最近は思う。


ただの本能だとしても、可愛らしい本能に違いない。


好きにのびのびと生きれば良い。


私たちは動物。


動物としていきいきと生きれば良い。


そしてまた私たちは動物だから、必ずしも正しくなくても、生き生きと生きているものに心惹かれるし、心動かされる。


昔は、愛だ恋だといって血迷っている人々をどちらかといえば冷ややかに見ていた。


でも大人になったからか、そんなことで右往左往している人々を可愛らしくも思える。


それは人間が30歳になろうと、50歳になろうと、70歳になろうと、そんな愛情問題が基本的には重大な問題なんだということが変わらないのだろうというのがなんとなくわかってきたからかもしれない。



狭義の惚れた腫れたではないかもしれないが、結局は、誰かに優しくされた、とか、冷たくされた、とか、そういうことで気分がよくなったり悪くなったりする生き物なのだ、これかもずっと。


だから。


テレサテンのこの声と、メロディだけでなく、この歌詞の世界観にもふと揺すぶられるものがあるのだと思う。


昔はダサいと思ってた愛や恋をストレートに歌い上げる歌謡曲。


でもこんな風にはっきりしたてらいのない表現、芝居がかっているほどドラマティックな表現が逆に新鮮でカッコイイという、今の若い世代の感覚が私にも影響を及ぼしたのかもしれない。


確かにそうなのだ。


あーだこーだというよりも、好きだ、と一言いう方がいつの時代も好感度が高いように、ここまでストレートに歌い上げる世界観になんか逆にハッとさせられる。


もちろん彼女の卓越した表現力と歌唱力あってこそなんだけど。


あとは


どこへも行かないで


みたいな心情というのは、心の奥深くに抱えていたとしても、意識化にはなかなかのぼって来ない。


歌だから、歌っちゃっていいわけだし、彼女の声と歌い方だから美しい。


海よりもまだ深く


空よりもまだ青く


とかいう歌詞もベタなんだけど、彼女だから、それも美しく純粋に響く。


曲も歌詞も優れているんだろうけど、それよりも、テレサテンの魅力が前面にくるなあ。


とても好感度が高い。



なんだろう?



あとは、カズオ・イシグロの小説みたいな感覚もあるかもしれない。


大人になって色々知ってしまったら、何も知らなった子供の頃のイノセントで守られていた世界にノスタルジーを感じるように、、、ひと昔前のある意味単純だった男と女の世界みたいなものへの感傷もあるのかもしれないなあ。


中村玉緒と勝新太郎みたいな。




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私も「毒親」に苦しんでいます。 [メディアまわり]

数日前の朝日新聞のメルマガ。


━━━ 今日のトピックス
 私も「」に苦しんでいます――。勉強や進学を押しつけられた母との葛藤をつづった女性の投稿に、共感の声が多く寄せられました。と距離を置こうとするのは、不孝?
http://news.asahi.com/c/akxWgvfo7PmVggaf


トピックは「毒親」。



実はうちもそうです。

でも声を大にして言うことはなかなかできない。


誰もが親に感謝しろ、親不孝なお前が大人げない・・・そう言うのは目に見えているからです。



虐待やネグレクト、家庭内暴力といった問題が多く語られるようになって、親だからといって全面的に正しいわけではないし、尊敬されてしかるべきでもない、ということは広く知られるようになったけど。


暴力がなく、ちゃんと教育を受けさせ、食べさせているとなると、なかなか・・というのがあった。


最近は、モラハラといった精神的な暴力も認知されてきたので、そこへきて毒親がちゃんと認知されてきたのもよかったと思う。



私は今実家に期間限定で仮住まい中。


親との間には本当に長い葛藤があったなかで、30歳をすぎてだいぶ大丈夫にはなってきたが、まだまだ不完全。


親との1か月以上の同居はありえません。


今は短期的に身を置かせてもらっているだけなので、なんとかギリギリ耐えられている状況。



30歳をこえてだいぶ大丈夫になった理由ははっきりしている。


親との関係に関しては、子どものころからずっと悩んでいて、、でも親がおってこれないような外国に移住するくらいしか解決策がなかなか見えない中、


やはり同じような経験をしている人たちの経験談やそれに対しての精神科医の人たちの回答など、いろいろと読んだりするなかで、自分で決めたのです。


私は親が大嫌いだけど、それは悪いことではない。

親を好きになれない自分を責めるのはやめよう。

私は親が大嫌いでいい。

それを態度に表していい。

それで、大人げないだとか責められることもあるかもしれないが、そんなのは無知な他人のいうことだ。

意に介さない。


私は自分の人生を生きる。

やりたいことをする。

言いたいことを言う。

親に支配はされないし、私の人生の邪魔をさせない。

親に怒りを表明する。

親に言いたいこと言う。


そう決めたのです。

しかし、最初から完全にうまくいくわけではない。


それでも気づいたのは、私は本当に親にものを言えない子供だったということ。

親に気をつかって生きるよう、教育というか洗脳されてきたのだと思います。


だから最初は親に言い返すことひとつが、すごく大変だった。


最初は親もめんくらったし、ばかにしていたと思う。


あらあら、怒っちゃって、はいはーい。

泣くなんて、いやーねー。恥ずかしい。

機嫌が悪いのね、当たらないでちょうだいよ。


みたいなね。


今まで私の尊厳を踏みにじろうが何しようが許されてきたわけだから、急に怒ったところで、今日だけ過敏になってるのかしらー、みたいな感じになってしまう。


だから犬のしつけと一緒ですね。

こっちの本気度を、お前が悪いんだということをわからせるためには繰り返し、意思を示さないといけない。

こっちは機嫌が悪くて当たっているわけではない。


でも、もはやとっくの昔に社会に出た私。

親との関係なんて、なくても生きていけるし、それだけに拘泥していては、怒りにとらわれて人生を損してしまう。


だからなるべく親とは距離をおいて、それとは関係ないところで、人生を発展させるように努める。


それでもやはり親との関係性というのは、すべての人間関係のおおもと、根源にある大切なところ。

逃げているだけでは、、と思う。


いや逃げていてもいいんだけど、ベストなのは、解決し、解消すること。


というバランスでやってきた。


で、今回。

だいぶスムーズに怒れるようになったなと思いました。


以前はもろ刃の刃というか、親に対して怒るときには、自分にももろ刃の刃で、すごく精神的にもきついし、ダメージがあったけど、今回は、もちろんそういうところもあるけど、根幹からぐらぐらはしなくなった。


自分は正しい。

間違ってない。


と、自信をもてるようになった。


それでも、すっかり忘れていた、久々の親への激しい怒りに、改めて重大なことを確認してしまった。


私は大学受験のころに、精神状態のバランスをだいぶ崩して、摂食障害と鬱と自傷・・・みたいな感じになった。


原因は親の過干渉であることは、自分ではよくわかっていたけど、他人のせいにしている、と思われるのも嫌だし、自分でも自分の弱さを他人のせいにしているだけなのか・・?という思いがあったので、あまり声を大にしてはいえなかった。


たぶんそうだとおもう・・という感じ。


でも世間は、まあ大学受験だし、高校での人間関係とか?みたいに思っていたのかも。


そしてそれまで何もなかったのかといえばそんなことはない。


私は幼稚園のころからずっと、しょっちゅう原因不明の体調不良を繰り返していて、自律神経失調症と言われていたし、11歳ころにはすでに、私は親が嫌いで好きになれない、どうしよう・・・と悩んでいたのも覚えている。


さて、でもそのあたりのことはすべてやはり親のせいだったんだな、と今回確信しました。


親はストーカーのようだった、いつも。


君が心配させるから悪いんだよ。

君のことを考えてのことなんだよ。


と言いながら、家のドアをどんどんたたき続け、電話をならし続け、部屋の鍵をこじあけてくるような。



もしくは、私がケーキのろうそくを吹き消そうとしていると、母親がやってきて自分で吹き消してしまうような人。


もしくは、まずやらせてみようとしないで、それじゃだめだとか、あれじゃだめだとか色々とけちをつけて、母親のタイミングで母親のいうとおりにやらせようとして、そのころにはもう私はそのイベントを全く楽しめなくなっていて、母親のために演じてあげるタスクになる、というような。


今回、私は転職をして新しい職場への初日の出勤を実家からしました。


親は気が小さいので、初日わたしが遅刻しないできちんと出社できるのか前の日からそわそわしているのがわかります。


とはいえ私はもう40近い、いい大人。


70過ぎた、両親に心配してもらうような話ではありません。


明日起こさないでいい?


と聞いてくる親に、「起こさないでいい」と言っておきました。


親は私が何時に家を出ていくつもりか知りません。


もしも起床時間や出発時間を親に伝えておいたら、それこそ大変です。


その間、親はそわそわし続け、私の脇に立ってどうでもいい質問をし続け、その服装はどうなのかとか、食べていきなさい、もう時間がないんじゃないの、急ぎなさい、、、と、、、ずっとまくしたてられて朝から疲れてしまうこと請け合い。


なので、言いません。


さて親はラッシュを避けて早朝通勤する気なのではないか・・そう、勝手に想像はしたのでしょうが。


そんなことをするとも言っていません。


はたして、

朝5時半、親は起こしにきました。


朝6時、もう一度私の部屋にやってきました。





・・・


なので、私は出勤前に親に説教をしたわけです。


起こさないでいいって言ったよね?

私が嫌がるのをわかっててやってるよね?

わちゃわちゃと騒がれると、こっちがリラックスできないから辞めてほしい。



親もそう私に言われれば、わからないことはないはずです。


親も、昔から、「過干渉だ、お母さんに聞いてるんじゃない、娘さんに聞いてるんだから、お母さんは黙って」とかよく病院で先生に言われていました。


私の、同様のことは、もう何度も何度も親に訴えているので、私が嫌がることを親はわかっているはず。




そして私は思い出しました。


受験期、このようなことを毎日やられたのです。


親はずっと私の部屋を見張っていて、ちゃんと勉強しているか、抜きうちでチェックに訪れます。


私以上に、親がピリピリと緊張してしまって、でも自分が何をできるでもない親は、その言ったからって何にもならない不安をわたしに容赦なくぶつけてくる。


親の不安の苦情受付だけで、私の貴重な時間と労力が奪われ、人生がつぶされていく、という感覚。


大人になった今は、嫌なら出て行って二度と親に会わなければいい、という選択もできるけど、子どもは逃げ場がない。


さぞかし具合が悪くなったことだろうと思う。


受験期には、さぞかしストレスだったろうし、親に私は人生をつぶされたんだな、と確信してしまった。


あの時、親が狂騒的になっていなければ、私は自分で自分の進路をマイペースに目指すことに対して意欲を奪われたりもしなかっただろう。



まあでも過ぎたこと。


ただ、もう直感的に確信した。


私はやっぱり親につぶされたんだなと。


というわけで、まあ貴重な実家への滞在でしたね。


これからだって、まだ油断はできない。


親につぶされないように、私は自分の人生を生きていく。



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思考の整理学 [読書メモ]

実家の本棚に発見。

一時期持て囃されたブームに乗って買ったけど、ちゃんと読んだっけ?

ということで読んでみた。

この本の趣旨は、見つめる鍋は煮えない、とか、一晩寝て待て、的なこと。

要は、あんまり時間をかけてずーっと同じことに取り組んでいても、煮詰まるばかりで、新しい発想も浮かばないし、むしろ本質からずれた枝葉末節に無駄に時間を使ってしまったりするし、、よくないと。

色んなことをやってみたり、人とのおしゃべりや散歩をたのしんだりして、脳をリラックスさせて、無になってるような時の方が、思わぬ素敵なアイディアが浮かんだり、本質が突然理解出来たりするもんですよ、と。

何なら寝たり、いろいろ他のことしたりして1回忘れろと。

忘れても、本当に大切なことは忘れない。

むしろどうでもいいことが忘れられ思考は純化され整理される。

というような話でした。

まあそうだね。

一晩考え明かして出したような結論は、確かに逆にずれている可能性は高いと思う。

どうしてそんなエクストリームな境地に到達しちゃったの?みたいなことになっているきがする。

まあ私も普段からやってることだな。

結論が出ない時は、しばらくそのテーマは放置する。

で、また忘れた頃に戻ってくる。

少し環境がかわり、ちょっとした見聞や経験が加わったことで、その時にはすんなりと落とし所が見つかるようになるケースも少なくはない。

ということで、まあ悪くはない本なのでは。

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排便ショック!血管迷走神経反射。 [健康メモ]

最近ツイッターを通じて広まった、33歳で脳梗塞になった女性の漫画。


いやー、33歳の女性が脳梗塞になるなんて、あまりメジャーなことではないので誰も油断してしまいそうだけど、こういうこともあるんだなという注意喚起になって自分にとってもよかったです。


この方も、救急車を呼ぶことなく自力で病院に行ってしまったみたいだけど、脳梗塞は死滅した脳細胞は元に戻らないいため、治療は一刻を争うわけで、自分や周りに知識があれば迷わず救急車を呼ぶべきだったはず。


とはいえ、ただ左手が痺れて動かない・・・だけで、救急車を呼べるか?


といったら勇気はいるよね。


例えば腕枕を一晩中し続けた場合のハネムーン症候群だって、そんなような症状がでるわけだし。

とはいえ、肝に命じておこう!


さてそれ以外に、あれ?という学びがあったのが、トイレで失神寸前になった話なんだけど、それが血管迷走神経反射というんだということ。


実は、私、ここ数年、失神までは行かないけど、排便後に急にぐったりしてしまうことがよくあるんですよ。


そういう今も、緩やかな排便ショック継続中。


特に下痢を伴うような激しい時には、明確に気分が悪くなってしまい、ヘタリこみたくなることもあります。


今回はそこまでではないんですが、昨日、すごくむくんでるし、お腹が出てるし、体が重くて、、、太った???まあそれもあるかもだけど、便秘じゃない?ということで、久しぶりに便秘薬を飲んだんです。


その効果があって、今日は見事にトイレに通い、神々しいまでに巨大で、あ、流れない?!というものを皮切りに、4、5回トイレに通いまして、お腹もスッキリしぼみ、体も軽やかになり、爽快感を味わいました。


しかしそれと同時に脱力感。

内出血を伴うような骨折や激しい捻挫をして、骨髄液が流失してしまった時のような感じといえばいいのかしら。


何か大事なものまで、、例えば電解質とか、、、が流失してしまったんではないかというような、虚脱感。

スポーツジムから帰ってきたあとみたいな、爽快感もあるけど、疲労感もあるみたいな感じ。

少し気分も悪くて、ともすれば横になりたいような感じ。


どういうことなのか、よく説明してくれているお医者さんの記事を見つけました。

要するに、立ちくらみ、脳貧血と言われているものの専門的な言い方のようですね、迷走神経反射って。


何らかの原因で迷走神経が刺激されて副交感神経が必要以上に活発になると、末梢の血管が拡張して血圧が下がり、脈拍が遅くなります。  体の上の方にある脳へは、重力に逆らって血液を送っているので、血圧が下がったり脈拍が遅くなると脳に向かう血液の量が減り、冷や汗が出たり、気分が悪くなったり、顔面が蒼白になり、意識がもうろうとなって失神して倒れてしまうのです。  恐怖、痛み、激しい咳、排便時のいきみ、冷水に顔をつける、首(頸動脈)のマッサージ、眼球の圧迫、嘔吐などの行為で迷走神経が刺激されます。恐怖や痛みでス~っと血の気が引く感じになるのはこのためです。  採血時に気分が悪くなって倒れてしまう人がいますが、これは採血で血が少なくなって貧血になるのではなく痛みによる迷走神経反射です。また、排尿後や排便後など、腹圧の急激な変化によって内臓に分布している迷走神経が刺激されて、排尿後や排便後の失神が起こることがあります。



迷走神経反射とは、自律神経のバランスが崩れたために起きる血圧低下などにより、脳の血流量が減って起こる、めまいや失神などの症状を総称したものです。高齢者は自律神経のバランスが崩れやすいため、排便後に急に迷走神経反射の発作が起きたり、食事など座位の状態であっても迷走神経反射によって意識が朦朧としたり意識を失ったりすることがあります。





自律神経のバランスが崩れやすい人によく起こると。


うん、私は起立性低血圧とか自律神経失調症とか診断されたことが過去にあり、自律神経のバランスが崩れやすい人であることは間違いない。


自然な反応とも言えるのでに特別あれですが、勉強になりました!

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シティオブゴッドとスラムドッグミリオネア。 [映画メモ]






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Netflix解約前の最後の夜は、スラム街映画の二本立てナイト。


月額650円で契約してるつもりだったけど、気づいたら契約形態を間違えていて!?(それとも何らかの陰謀か?)


月額1450円のプランを契約したことになっていて、、、月々無駄に1450円も払っていた。


月額650円のプランだったら、まあ月に映画を3本も見ればある程度もともとれるし、いいんじゃないかという気もするけど、やっぱりあまり映画を見る習慣がないので、やめておこう。


でもたまに見ると、強い衝撃を受けますね。


先日見たchewing gumというイギリスのテレビドラマにしても、whitegirlにしても然りだったのですが、今回はもっと強い。


まずスラムドッグミリオネア。


もう10年ほど前ですよね。とても評価が高くて私の周囲でも話題になっており、これは見ておこうと思いながら、ついに10年も経ってしまった。


インド映画は見たことないけど、インド映画といえばみんなで踊るんでしょ!?という感じだったのだが、別にインドを感じさせないよくできたエンターテイメント作品だったなあ、、と思ったら、そうか舞台がインドなだけでイギリス製作のイギリス映画で、監督もトレインスポッティングやザ・ビーチと同じ人、イギリス人、ダニー・ボイルとな。


なるほど、、他にどういう映画を撮っているのかを知ると、この監督の傾向が見えてきますね。


映画中の映画!みたいな、スリリングでスペクタクルでエンターテイメント・・・みたいな、いわゆるワクワクドキドキさせる映画をとる人なんですね。


なるほどなあ、インド人が撮ったインド映画じゃないとなると、インドに対する描写が正しいかはわからないので、鵜呑みにするのは危険だけど、原作はインド人外交官なので、その辺のバランスがどう出てるかだな。


それは置いといて、映画としてすごくキラキラしてるのは、まずムンバイのスラムの様子。


フォトジェニックなので、映画撮影されたら本当に圧巻だし、そこで全身をフルに使って躍動する子役たちの輝かしいこと。


考えてみたら、親を亡くして二人きりで生き抜く幼い兄弟みたいなのって、割と私の琴線に触れるかも。


しかし主人公は主人公らしく、悪賢く立ち回るところもあるけど、生き抜くための知恵と勇気という感じでまっすぐな性格なのだが、主人公の兄はさらに悪賢いというか、ちょっと邪悪なところもある。


が、よくいる弟をいじめたりからかって遊ぶ男兄弟の兄的な感じといえなくもない。


兄のそういう横暴さ、邪悪さにいつも振り回されながらも、それでも頼もしいところもあり、寄り添って生きていく二人。


このあたりはリアリティがあるなと思う。


それからマフィアが拾ってきたストリートチルドレンで形成される物乞い集団ね・・これもそんな感じなんだろうなとリアリティがあった。


ゾッとした。


映画は、スラム街出身の教育をほぼ全く受けていない若者がなんでクイズ番組の答えがわかったのか?というのを一問一問、彼の人生経験と照らし合わせていく形で進行する。


ヒンズー教徒によるイスラム教徒の虐殺によって、母親を殺され、スラム街にあった家を焼き払われ、ゴミの山でゴミを漁りながら生活しているところ、マフィアに拾われ、物乞いを強要される生活、、それでも食事と寝床が与えられ孤児院のように安穏に暮らしているかのように見えて、、、不具にすることでさらに稼ぎがよくなるということで、歌がうまい子どもが目を潰される現実を目の当たりにし、そこを逃げ出す。


その後は、観光地で観光客の財布や靴を盗んで売ったり、観光ガイドをしたりして働き、、ハイティーンになって正規に雇ってもらえるような年になると、レストランやコールセンターなどでちゃんと働き出す。


一方、兄の方はギャングに加わる。。。

スラムで孤児として生きる子供達が、辿りうる人生の表と裏。


先進国で安穏と育った人にとってみたら、ひとつ一つがものすごい経験なのだが、それをさらっと流れるように挿入していく手口がいいなと思いました。


さらっと提示されていくことで、より印象深く、色々な思いがこみ上げる。


それには子役たちの魅力もあると思う。


そして最後には、すっかり都会になったムンバイも登場し、、色々な歴史、歪みを抱えながらここまで発展したインド、、、みたいな「これがインドだ!」って感じの作品にもなってるような気がする。


子どもが庇護の対象で、遊んで甘えていればいい、、っていう世界ではなくて、5歳、6歳ですでに働いて戦って考えて生きていかないといけない世界。


なんかカツが入りますね。


さて次、シティオブゴッド。ブラジル、リオデジャネイロのスラム街のギャングの話。


すごいね、これ何?カルト映画?っていう感じの、人を躊躇なく殺しまくる映画。


で、こんなの初めて見た・・というのが「幼い子どもが銃で人を殺しまくる」というところ。


しかも愉快に。遊びのように。


そしてそんな凶悪な子どもを大人も容赦しないで、撃つし殺すし、、。

そして逆に銃を与えられた子どもたちに大人が簡単に殺されることもある。


ようは大人も子どももないのである。

人の命が虫けらのように軽い。


実話を基にしているということだけど、、まあ当たらずも遠からずなんだろうな。


一番強烈なシーンは、子どもギャング集団を追い詰めたギャングが、「三匹捕まえた!」って感じで、10人くらいのうち逃げ遅れた3人を確保。


年齢は、7、8歳の子2人と、12歳くらいの子1人。


で、そのうち二人に、手か足どっちか撃つから、どっちか選べと言うと、二人は手を選ぶんだけど、「そうか、手な」って笑いながら、足に撃ち込む。


さすがに泣き出す二人を前に、さらに残りの一人に、「おいどっちか一人殺せ」と言って、実際に一人を撃ち殺させる。


生き残った一人が、泣きながら、打たれた足を引きずって逃げていく。


すごい描写。


でもなんかさ、ファッショナブルなんだよな、この映画。

映画のテンポや語り口なんかも、凄惨な暴力を扱ってるのに、どこかユーモラスでサクサク進むから見ていて小気味好い。

そして新鮮。


あとブラジルってこういうところなのかもしれないけど、人種がすごく混ざっていて、白人から黒人までがグラデーションのようになっていて、それだけに完全に人種差別的なものがないように感じられる。


アメリカ映画に見られるような白人と黒人の優劣意識みたいなものや、両者の交流を描いた時のわざとらしさみたいなものが全くない。


この映画でも街の支配者は、黒人だったり白人だったりするし、そのギャング団の構成員たちも人種によるどうこうっていうのは全くない。


それはなんか見ていて気持ちよかったな。


まあでもさ、なんで混血が進んだのかといえば、植民地支配していた白人が妻帯して来ずに現地の女性に手をつけたからという話で、、、それもねって感じなんだけど、人種差別がなくなれば混血が進むのはナチュラルなので、そういう人種がナチュラルにミックスしまくったギャング団の立ち姿みたいなものもなんか新鮮だった。


まあブラジルの場合は、差別がないから混血が進んだんじゃなくて、混血が進んだから差別がないという話なんだろうけど。


そしてその人種差別がないというのも、アメリカのようなわかりやすい有色人種差別、白人至上主義がないというだけで、他の人種に対する偏見や差別はあるだろうし、、もしかしたらスラム街と他ではまた違うのかもしれない。


なんて思いました。


ちなみにあとで他の人の映画の感想を読んでいたら、タランティーノとかクドカンとかっぽさがあると書いてあって、確かになと思った。


さらっと小気味好く進むテンポと、どこかユーモアがあってクールなところ。


実は私、結構飛ばしながら見ていて、最初の方とか見てないのよね、よく。

もう一回しっかり細部まで見たいなーと思った。


さてスラム映画まとめ。


なんというか、ルールが全然違う世界だよね。

これも人間社会なんだけど、もっと「野生の人間を見てる」っていう感じ。

生き残るために、知恵と肉体をフルに使って生きる人々の躍動感。


だからなんかこう、スポーツを見てるような感じで、アドレナリンが出るし、清々しさみたいなものを感じるんだよね。

人間も動物だからさ。

良くも悪くも。


弱肉強食がルールとなっている世界で、もっと動物の側面を使って生きている人たち、、なんかそれはそれって感じで、ただマイナスにも捉えられないんだよな。


実際、東南アジアに住んでいて、インドやブラジルのスラム街みたいな世界的に見ても結構ものすごいとされるような世界ではないにしろ、やはり下層社会の人の感覚には「殺しや盗みが日常的」はないにしても「どこかその日暮らし」な感覚はあって、花火のように生きてるのを見ると、野生動物みたいだなと思うことがある。


涼しくて気持ち良い場所を見つけたら丸まって寝て、美味しいものが食べられたらハッピーで、、野生動物とまでは言わないけど、野良犬か、放し飼いの飼い犬かってくらいの自由さを感じさせる人はいっぱいいる。


で、完全室内犬育ち、みたいな文明社会で育った私からして、彼らがどう映るかというと、それはそれでいいなと思うのである。

もちろん文明社会的な目線で見たら、とんでもなく悲惨ということになるんだけど、別に人間も動物じゃんと思うと、動物的に生きることが果たして不幸なのかよくわからなくなることがある。

それは東南アジアにきてからよく思う。

動物的に生きて、幸せに早死にしていくような人を、頭から否定することはできない。


人間も野良犬を飼って飼い犬にして一緒に暮らせるように、そこに相互の愛も愛着も生まれるし、一緒に暮らすこともできる。

野生のライオンをかっこいいと感じるのと一緒で、かっこいい、素敵、とすら感じる時がある。

やっぱり人間は動物だからだろうか、動物的、野生的で強い存在をかっこいいと慕う心があるんだよね。


とはいえ、全く同じ暮らしをできるかといったらそうではない。

犬に人間のルールや暮らしを強要することができないように、犬には犬の幸せがあって、犬は人間ではない。


こういう言い方をすると、人を犬呼ばわりしているみたいでまるで人種差別みたいだけど、そういうことじゃないんだよね。

通じあうものももちろんあるけど、ただルールが全然違う社会で生きている人に、突然例えば日本のルールを強要しようとしたらまず無理だろうと思うという感じ。


ただもちろん彼らは犬ではなくて人間なんだけど、、でも犬がなんとなく人間のルールを理解して、嫌なことはしないよ、だって一緒に居たいから・・・って感じで寄り添ってくれるのと一緒で、共存はできると思うけど、結局人間同士だってそういうレベルの理解になるんじゃないのかな。


男女がお互いの機能的な違いから、時にその心理をそのレベルでしか分かり合えないのと一緒で。


まあもちろん、それでも人間はただの動物ではなくて、文明があって理性がある動物なんだから、私は動物的に生きるよりは、理性的に生きたいとは思うけどさ。


でもバランスなんだよね。

あんまり理性だけに生きようとすると、我慢が祟って病気になったりするみたいだし。


そんなことを考えました。


あとスラムでは、「子どもだから」が通用しない。

それは子どもから教育の機会を奪っているという意味でも酷なことだけど、逆にいえば子どもでもできるんだよね、労働も商売も。

それはつまり、大人である私なんか、もっともっと年齢を理由にしてる場合じゃないなと思った。

まだまだ色々とできる。






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